曹洞宗 秋葉山 舘山寺 (そうとうしゅう あきはさん かんざんじ)
当寺の舘山寺(かんざんじ)という寺号は、舘山(たてやま)に開かれた寺であることから舘山の寺という意で名付けられたものです。
当寺の舘山寺(かんざんじ)という寺号は、舘山(たてやま)に開かれた寺であることから舘山の寺という意で名付けられたものです。
鎌倉時代・文治三年(1187)
兵火により焼失したが、源頼朝公がこの地を訪れ、道中安全・武運長久の祈願寺として諸堂を再建した。(頼朝の建立した諸堂や寺宝は元中元年(1384)に再び兵火により焼失)
兵火により焼失したが、源頼朝公がこの地を訪れ、道中安全・武運長久の祈願寺として諸堂を再建した。(頼朝の建立した諸堂や寺宝は元中元年(1384)に再び兵火により焼失)
南北朝時代・貞治年間(1362)
堀江城(遊園地パルパル、ホテル九重付近)の城主として、当地に赴任した大沢氏の要請により城主の祈願寺として、以後五百年守られる。
堀江城(遊園地パルパル、ホテル九重付近)の城主として、当地に赴任した大沢氏の要請により城主の祈願寺として、以後五百年守られる。
江戸時代・慶長三年(1589)
徳川家康公により御朱印判物を賜り東海の名刹として繁栄した。
徳川家康公により御朱印判物を賜り東海の名刹として繁栄した。
明治三年(1870)
新政府の神仏分離令(廃仏棄釈)により廃寺となる。
新政府の神仏分離令(廃仏棄釈)により廃寺となる。
明治二十三年(1890)
再興が認められ秋葉の火祭りで有名な秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)住職・牧泰禅(まきたいぜん)和尚を招請し、秋葉寺の出張所を持ってくる名目で再興した。
その際に秋葉三尺坊を舘山寺でも祀ることになり、山号も「中嶺山」(ちゅうれいざん)から「秋葉山」に改め真言宗の伝統を引き継ぎながら曹洞宗の祈願寺として今日に至る。
再興が認められ秋葉の火祭りで有名な秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)住職・牧泰禅(まきたいぜん)和尚を招請し、秋葉寺の出張所を持ってくる名目で再興した。
その際に秋葉三尺坊を舘山寺でも祀ることになり、山号も「中嶺山」(ちゅうれいざん)から「秋葉山」に改め真言宗の伝統を引き継ぎながら曹洞宗の祈願寺として今日に至る。