住所
曹洞宗 秋葉山 舘山寺 浜名湖岸88箇所第27番霊場 〒 431-1209 静岡県浜松市西区舘山寺町2231 TEL:053-487-0107
静岡県浜松市 曹洞宗 秋葉山 舘山寺 Kanzanji
ご本尊
本堂

御本尊
福一万願虚空蔵菩薩(ふくいちまんがんこくうぞうぼさつ)
無限の知識と慈悲をもち、知恵と福徳を授けてくれる仏さま
丑(うし)と寅(とら)年の守り本尊
虚空とは妨げるものが無く無限の空間を意味する仏教語
鎮守
秋葉三尺坊大権現(あきはさんじゃくぼうだいごんげん)
火を操る力をもつ火伏せの神さま
秋葉信仰に関しては こちら

本堂外の仏さま
舘山寺穴大師
舘山寺穴大師
本堂より5分
舘山寺穴大師
「この穴に 入るのみにて霊感あり 心願成就の大師として名あり」
810年に弘法大師さまが舘山寺を開設された時、修行を行った古墳時代の石室。当時、弘法大師さまは仮堂の代用として当山にあった古墳(横穴式 円墳)の石室を利用し、石室に21日間おこもりになり修行を行いました。その間に石室内で刻んだこの石仏は、そのまま現在に至るまで安置されています。弘法大師の岩穴のいうことで「穴大師」として、1200年の長きに渡り人々に親しまれ、信仰されています。慶長十年(1605年)浄土宗の弾誓上人(たんぜいしょうにん)が、ここで念仏をお唱えしたことが、同上人絵詞伝下に残されています。
心願成就(心からの願いが叶う)と目病平癒(眼の病気が治ること)のご利益があるとされています。
穴大師と眼病平癒の言い伝え [穴大師と竹四郎]
舘山寺縁結地蔵尊
舘山寺縁結地蔵尊(かんざんじ えんむすびにちげんじぞうそん)
本堂10m程西
心と鍵の絵馬
明治より伝わる縁結びのお地蔵さま縁の願いを記した古くから伝わる「心と鍵の絵馬」がお地蔵さまのま わりに沢山掲げられています。
舘山寺聖観音菩薩
舘山寺聖観音菩薩 (舘山寺大観音)
本堂より徒歩8分山頂
舘山寺聖観音菩薩
昭和10年(1935年)建立。全長16m。
浜名湖での生活が安全に出来るようにという祈願をこめて湖を一望する舘山の山頂に、湖を見下ろすように建てられた。
あらゆる困難からあらゆる人に救いをもたらすことから 安全祈願として信仰されている。
その他の文化財
中嶺山額
中嶺山額 【本堂正面】
天台宗の僧侶であり書家として有名な豪潮(1749~1835)による揮豪。
中嶺山の意は 大草山 五陣山 舘山の内浦湾を囲む3つの山の中心である舘山を意味する山号です。
天狗扁額
天狗扁額 【本堂西側奥】
秋葉山の助力を得て曹洞宗として再興された際、1900年ごろに寄贈された額。
天狗は秋葉三尺坊大権現の化身と伝えられています。
中国蘇州・寒山寺(かんざんじ)の梵鐘
中国蘇州・寒山寺(かんざんじ)の梵鐘 【本堂西側正面】
明治38年(1905年)に日本の初代首相の伊藤博文から、中国の寒山寺と当寺に寄贈された鐘の複製。
当時の住職牧奉禅々師が伊藤博文と交友があり、中国との友好を祈願し両寺に同じ梵鐘を寄贈しました。 (読みが同じ かんざんじ という奇妙な縁が関係したのかもしれません。)当寺の梵鐘は太平洋戦争時に、資源として国に寄付したため消失してしまいました。寒山寺に現存する対の梵鐘から複製を造り展示しています。
中国蘇州・寒山寺(かんざんじ)の梵鐘
大梵鐘(つり鐘) 本堂東 御守授与所隣の階段より(地上18m)
口径四尺三寸(約129cm)、重量八百八十貫(約3.3トン)の非常に大きいつり鐘。湖面から30mもの高さに位置しています。
一般の方でも打鐘することが出来ます。 詳しくはこちら
一休宗純への母からの手紙 【本堂にて保管。模写は御守授与所にて展示】
一休さんとして馴染みの一休宗純(1394~1481)に宛てた 母からの手紙として当寺に古くから伝わる 書簡。生存時に寄贈されたのもなのか、没後以降に当寺に寄贈されたものなのかは不明。明治以前より 保管しているので150年以上は当寺で保管している貴重な書簡。
93.8.29.放送の日本テレビ「知ってるつもり 一休宗純」でも紹介されました。
原文
我今娑婆の縁つき
無為の都に趨候御出家
に成り賜ひ其眼よりしミ申我に
地獄に落るか落ちざるか不断添か
添ざるか釈迦達磨とも下部
になするは成すは俗にても不苦
其方便の教のみかざる人はたとえ
学道にても糞虫と同ツ事候
佛四十九年説き賜ひ終に一字
不説との賜ふ上はこれを見
我と悟る肝要候何事もまく
まふさふ 穴賢
 九月中旬       無生
     千菊丸との
返す〃も八万の諸聖経を空に覚ゆとも佛性眼
をみてすんはけふミ不との事も為さん
  歌事
是と亭も假初ならん
別れては
  かたみともミよ水くきの
  あと
口語訳
(私は)まもなくこの世の縁もおわり、あの
世に行きます。
 あなたは、出家者として、其の眼でしっか
りとご覧になってください。私が地獄におち
るか、落ちないか、永遠であるものを加えた
か、加えなかったか。釈迦や達磨がしもべの
ようになれば(そのようになるまで禅の道を
究めれば)、 俗人であっても苦ではありませ
ん。  釈迦や達磨の言葉だけで自らを飾り立てる
人はたとえ学道に優れても、糞虫(コガネム
シ)と同じ事です。
 仏が四十九年お説きになり、ついに一字不
説、(真理を言い表す事はできず、自ら体得
することによって悟る事ができる)は、自分
自身が見て、自分自身で考える事が大切なの
です。なにごとも「莫妄想」妄想を抱く事な
かれ、です。    あなかしこ
 九月中旬          無生
   千菊丸殿
   繰り返しますが、たくさんのお経を暗記し
たとしても、仏性の眼をもたなければ、この
手紙も理解できないでしょう。
    歌の意味
 この手紙は「かりそめ」(一時的なもの)
ではありません。永遠に別れたら形見と見て
下さい。私の筆跡を。

口語訳: 浜松市 瑞生寺(ずいしょうじ) 左右田(そうだ)
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